The double

cotteの脳内日記

差別、区別、軽蔑

インターネットTVの番組で

お笑いコンビの1人がMCを務める番組をたまたま観始めたら

あっという間に2時間丸々と観てしまった

 

テーマは

「わたしが差別をしたとき」

 

1人MCが座り

届いたメールを読み上げる

読み上げて感想を言う

読み上げながら

思い出したエピソードを語る

 

心に何か引っかかるものがあれば

なんども同じメールを読み上げる

 

ひたすらその繰り返し

本職はお笑い芸人だけれど

笑いは一切ない2時間

 

それでも

なぜかこれが面白くて

時間も忘れて

ずっと観てしまった

 

差別はよくないこと

差別は許されないこと

 

それは当たり前のこと

 

でもちょっと待って

区別と差別をわけるものは?

嫌悪と差別が変わる瞬間は?

 

読み上げるメールが増えるたびに

さまざまな境界線は

曖昧で

主観的で

混沌としているような気がしてきた

 

差別反対!

差別する人を許すまじき!

この勢いだけで

押し通そうとするならば

それも差別につながる道なのかもしれない

 

かわいそうでしょ

そんなこと言わないの

優しく思いやるように聞こえる言葉にも

差別がひそんでいることだってある

 

差別をしたことがない

と堂々といえる人はいるのか

 

心のどこかで

この人よりマシかもと

ほっとする瞬間を

経験したことはないだろうか

 

反射的ともいえる

短い時間に

自分が優位であるという

考えが通り抜ける瞬間を

体験をしたことはないだろうか

 

差別はいけない

 

という解はあっても

 

「ここからここまでが差別です」

という

一定の共通の物差しを作るのは

とても難しいことで

それを規定することに労力をつかったり

その物差しを完成させることが

目標ではないように思う

 

はっきりとした解を

自分は持っていないという自覚

そんな問題を

自分はたくさん持っているという自覚

 

認識しつつ

自分の傍に持っている

そして機会を見つけては

それを取り出し

埃が被らないように

手入れをしてあげなければならない

 

人は差別をする

 

 

その獰猛な生き物を

みんな

腹に飼っているという

嫌な事実に

一度目を向けてみる

対面してみる

 

差別をする人を

軽蔑するわたしの中にも

必ず何かの差別は存在する

 

その負の自分と向き合う

その負を言葉にしてしまう

自分だけは違うという思い込みを捨てる

 

その先にうっすら

解のような

判断材料になるようなものが

あるのかもしれない