The double

cotteの脳内日記

6月15日

6月15日

息子は14歳になった

 

我が家にとっては特別な日のひとつである

息子が起きてくる前に

とっさにその日の朝刊を隠してしまった

 

心は晴れぬが

それを隠して明るく

おめでとうと言いたかった

 

夜帰宅した息子が

自分の生まれた日の

朝刊と夕刊の見出しを眺めながら

今まで聞いたこともないような

驚愕の声をあげながら

嘘だろう?!

と叫んでいた

 

これからこの国はどうなっていくの?

と不安げに尋ねてきた

 

民主主義議会制度が死んだ日と呟いた人もいた

いやもう一度再生する折り返し地点だと信じるのだ

嫌なこと、難しいことに目を反らさず

忘れようとするのを止めにしようと

心に留める日になっただけだ

 

たまたまその日

何度読んでも共感できない短編小説の感想文を書かなければいけない

と相談をうけた

 

ざっと目を通す

 

共感できなければ、共感できないと書けばいいのではないか

とアドバイスにならないアドバイスをした

 

いやもう少し

提出する俺の身になってくれよ

と言われた

 

ならば少し違う観点から

突破口を探してみようと

教科書を2人で目を皿のようにして

もう一度読んだ

 

小説の中の主人公「僕」は一度だけ

学校の先生から名字で呼ばれている

 

この「僕」は作者と同じ名前だね

文末に作者の紹介が出ている

ご丁寧に生年月日まで

 

主人公は中等学校に通っているから

15歳と仮定しようか

そうすると1935年だね

 

あ!!と息子が声をあげた

 

1935年はドイツではヒトラーユダヤ人から公民権をはく奪している

日本では軍事政権になった年だ

そしてある憲法学者を筆頭に

治安維持法で逮捕者も続出している

 

主人公は九段坂近くの中等学校に通っている

教室の窓からは靖国神社がみえる立地だ

 

国語の先生が

ここは今も昔も名門校だと言っていた

それなのにこの主人公は

勉強もスポーツも全くできないし

だからといって不良でもないし

いつも何に対しても無気力なんだ

それが不思議だった

俺より絶対頭がいいはずなのに

なんでいつも諦めムードなのか

全然共感できなかった

 

でも

 

もしかしたら

無気力にみせながら

時代に抵抗していたのかな

すべてのことに興味がないふりをして

反抗していたのかもしれない

 

だったらそう書けばいいと思うよ

 

だね

 

ねえ。

今日みたいな日を想像して

この教科書にこの短編は選ばれたのかな

 

わからない

でもいろんなひとたちが

頑張っていると思う

 

大きな声

ダイレクトな声では

消されてしまうかもしれない

だから

サインやチップのように散りばめて

発信する人はたくさんいると思う

 

あたながそう感じたのなら

それはそう感じればいい

 

そのまま受け止めることもいいけれど

その裏に何かあるのかもしれないと

紐解いていこうといこうとする努力も

必要な時代かもしれない

 

俺、この主人公

好きになったかもしれない

それはよかった

安岡章太郎さんも喜んでいるんじゃないかい

 

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