The double

cotteの脳内日記

なんとなくの正体

日々のさもない暮らしの中で

嫌なことがあったとする

嫌なことを言われたとする

嫌なことをされたとする

 

自分が当事者でなくても

見聞きしても嫌だなと思う場面はある

 

そんな時よく人は

なぜあの人は

あんなことをしたんだろう

あんなことを言ったんだろう

と思うことはよくあると思う

 

なぜなぜなぜ・・・

最近、ふと

ではなぜ私自身は嫌だと思ったんだろうと

自分に問いかけるようになった

 

今まで

なんとなく嫌

なんとなく好き

 

このなんとなくという便利なことばをよく使っていた

よくわかんないけど嫌

よくわかんないけど好き

 

これをどんどん掘り下げていったら

知らない自分に出会えるかもしれない

 

自分でない相手に、事象そのものに

なんで?なんで?を繰り返したり

責めたてたりするより

 

自分が曖昧にしてきた

なんとなくと

よくわかんないけど

に時間を費やしてみると

 

なにか自分の中の法則がみつかるような気がしてきた

 

続けていると

その正体の

あれが尻尾かな?というものが

見え隠れするようになってきた

 

繰り返し、繰り返し

掘り下げ、追及すると

今読んでおいた方がよい本や情報が知らないうちに飛び込んでくる

自分のことばがうっすらみえてくる

 

自分だけど自分でない自分がみえてくる

あ、こいつ結構めんどくさいヤツな

と自分をみている

 

あーなんでこういうことに

不快をしめすのかなぁ自分・・・

 

でも

だから自由について

いつもいつも考えてるんじゃね?

と自分が後ろから声を掛けてくる

 

なんとなくの正体を

自分のことばにできたとき

 

またここに書き留めておこう