The double

cotteの脳内日記

勇気づけ

当事者ではないのに

その話を聞くと

心に響き、鼻の奥がツンと痛くなる時がある

 

それってなぜだろうか?と考えた時

ひとつ浮かんだことがあった

 

それは武勇伝でもなく

成功話でもなく

悲惨すぎる話でもなく

 

誰かが誰かに勇気づけられた話を聞いたとき

だということだ

 

勇気づけるとは難しい行動だと思う

褒めるとも違う

過剰に評価するとも違う

助言をするのとも違う

解決策を提案するとも違う

「きっとまたいいことあるよ」と確定できない未来に

占い師でもないのに太鼓判を押す

そんな行為でもない

 

要はよこしまな気持ちが入っていない時に伝わるのだと思う

 

意外と勇気づけられた方は覚えていても

勇気づけた方はすっかり忘れてしまっている

言葉だったり、行為だったりするのかもしれない

 

おそらく

そのままで素敵だよ

あなたの決めたこと、考えに誇りを持っていいんだよ

いつもいつもあなたが間違っているわけではないよ

 

そんな隠れたメッセージを受けた側が

感じとった時

勇気づけられたと感じるのかもしれない

 

けれどそれだって、

送った側の人は

そんなつもりではないときだってある

そんなつもりではないときのほうがほとんどだろう

 

そう思うと

受け手側の勘違いなのかもしれない

 

なんて!

素晴らしき勘違い

それでいいのだと思う

 

率直な気持ちと気持ちが触れ合う時の

素晴らしき勘違い

 

こういう偶然の重なり合いで

その人だけでなく

その話を伝え聞いた人の中にも

また、もうひと頑張りできる力をもらえる人もいたりするのだから