The double

cotteの脳内日記

意味はいろいろ変わるもの

「優しい」は

それだけでは

いいも、わるいの判断ができない

その前後の行動や受けとる相手がどうとらえるかで

「優しい」は

ありがたいと捉えられることもあるし

迷惑だと捉えられることもある

 

電車の席を譲って

「ありがとう」と言われることもあれば

迷惑そうな顔をして、席に座らない人もいる

 

行為は同じであっても

受けとる相手で変わってしまうという場面はたくさんある

 

すべてのものに

ほんとうはいいも、悪いもないのかもしれない

 

 息子は「お調子者」だ

向かう方向によって

それは場が和むとなったり

悪ノリとなる

これも相手がどう捉えるかで変わる

 

「お調子者」自体には

いいも、悪いも存在しない

 

先日の夜、連絡が入り学校まで息子を迎えに行った

この「お調子者」が災いし

(と打ちながら災いなのかと疑問もありながらうまい言い回しがみつからない)

やや事実と異なることまで息子が起こしたことになっていた

 

本人はもうそれでいいと思ったようだったが

家に帰るとぽつぽつとその違いを話し始めた

 

これも本人に直接確認したわけではないが

自分を振り返ると

本当のことを話すと少し涙が出てくる

本当のことを話すことが怖いというより

それを理解してもらえるか怖くなる

信じてもらえるか怖くなる

さいごまで黙って話を聞いてくれるか疑わしくなる

 

それならば相手が思ったように

振る舞っていた方が

嘘の方が

楽な時がある

 

いいか悪いかは別なのだ

その瞬間、瞬間

楽な方を選ぶのが人間だ

 

息子の顔にはうっすら涙の流れた跡がみえた

 

「本当のことを話した方がいいとママは思うけどね」

反省文を書いている息子の背中に投げかける

 

しばらく無言だったが

「反省文に本当のこと書く。でもきっと昨日と違うと、ママ、また学校に呼ばれるよ」

と言いながら、息子は息子の中のほんとうのことを書いていた

 

「お調子者」だからこんなこともするだろう

「お調子者」だけどそんなことまではしないよ

これも受け取る側にゆだねられること 

 

さて学校側はその相違点をどうとらえるのであろうか

事実と異なることをわたしに伝えたことへ

なにか連絡はあるのだろうか

2日経つがまだない

もうこれっきりないのかもしれない

 

このことをどう感じ、どうとらえるか

それはわたしにゆだねられている