The double

cotteの脳内日記

考える人

クラスメートを怒らせてしまった

 

帰宅すると

小学4年生になった娘が

少し不服そうに言った

 

先生だっていつも正しいわけじゃないよ

先生が言ったことにそのまま従うのは違うと思うよ

 

そう言ったら

クラスメートが激怒したそうだ

 

わたし変だったかな?

 

娘は少し拗ねている

 

へぇ

そんなこと考えるようになってきたんだな

 

そうだね

大人だって

親だって

誰だって

間違えるし

考え方は違うし

どれが正しくて、どれが違うかは

時代によって変わることもあるし

絶対的なものごとなんて

もしかしたら

ないのかもしれない

 

先生に対して

毎回疑う必要はないし

毎回従順になる必要もない

 

ただ自分が行動に移すときに

自分で考えるしかない

それしかないんだよね

 

同調圧力サイレントマジョリティ

という言葉をよく耳にする

 

まだそんな言葉を

娘は知らないが

 

声に出して

わたしはそうは思わない

わたしはこう思う

 

拙いけれど

表出している娘の成長をたのもしく思う

 

これは簡単なようで

ほんとうに難しい

とくに同調圧力を感じるような場面で

発言することは

 

さささーーと

自分の周りから人がいなくなる

虚しさを感じる時が多い

 

あとから

こっそり

わたしもそう思ってました

と言われても

風の吹いた音にしか聞こえない

 

それでも考えることはやめられない

考えることをやめることは

自分の足で生きていくことを諦めたときだと

思うからだ

 

 

 

ある親子

夫は父親に叱られた記憶がないと

ことあるごとに言っている

 

唯一、

高校生の部活終わりに

父親が迎えに来た

車中で

どの歌手のカセットテープを流すかで

揉めたのぐらいだそうで

 

くだらなっと第三者は思うが

それでも父親はイラッときたのだろう

「帰りに飯でも食って帰ろう」と言ったにも関わらず

そのまま1時間ほど黙って自宅まで直帰したという

 

食べ物が関わっているから

夫もよく覚えているのだろう

 

母親も小学校2年生ぐらいまでは

ガミガミ小言を言っていたようだが

ある日、ぱたりとしなくなり

それっきり、叱られたことがないのだという

 

わたしと夫は20代前半で

お互い学生同士の時に出会ったが

危なっかしい人だった

実際、一緒にいて冷や冷やさせられた

(法には触れてません。そういう危なっかしさではないんだけど)

 

夫の人生で一番小言を言っているのは

確実にわたしであろう

 

「なんでこの娘はいつもぷりぷり怒っているんだろう」

これがわたしの第一印象だったらしい

 

ほとんど叱られてこなかった人から見ると

これが魅力というか不思議というか

わたしに対して興味が湧いた

きっかけだったらしい

 

人生なにが功を奏すかわからない

 

そんな叱られてこなかった夫なので

まず、相手の機嫌が気にならない

「こんなこと言ったら嫌な顔されるかな?」

「こんなこと言ったら叱られるかな?」

「こんなことしたら人からどう思われるかな?」

 

万が一、相手の態度が変わっても気にしない

俺のこと この人嫌いかも…

そんな人に出会っても

心の中で

「安心して、俺もあなたのこと嫌いだから」

と思うらしい

それも満面の笑みで思うらしい

実際ゲラゲラ笑いながら

わたしにはなす

 

結婚して

夫の両親とも関わるようになって

こんな親子に面喰うことも多かった

 

いるんだなぁ

こんな親子

その中にわたしも加わったわけで

年を経る毎に

わたしも感化されている気がする

 

先日この記事を投稿したが後日談がある

privatecotte.hatenablog.com

 

わたしは入学式に誘われたが行かなかった

内心

誰がついていくかいな!!

だったのだが

 

ふと、

「ご両親誘ってみれば?」と言ってみた

半分冗談である

でも半分もしや?!という気持ちがあった

 

普通に夫は

そうだな。喜ぶよな。

とさっそく電話をしていた

 

そして入学式の前日

雪国からトウキョウへやってきた

 

孫の入学式も卒業式にも出たことないが(笑)

息子のためににこにこと

トウキョウへやってくる

年老いた親

 

ふだんは1年以上も電話もしなかったり、

会いにも行かない夫だが

そんなこともお互い気にせず

会えば、ハグしあう親子

 

40過ぎのおっさんの新入生と

それに付き添う70代の両親

きっと入学式では

目立っていたことだろう

 

めでたいことだ 

 

言葉とナイフ

これはもう数十年もまえのはなし

わたしが5歳だったときのはなし

 

突然歩けなくなった日があった

朝起きると

力が入らず立てない

 

困ったな

わざとやっていると思われるのかな

なにかの病気なのかな

 

その日は家の中を

四つ這いで移動した

 

今ならわかる

四つ這いができるということは

下肢で体重を支えることはできている

運動機能の問題ではなかった

 

それでも脇の下を支えられて

立たせられると

脚はぐにゃぐにゃと

たこやいかのような状態だった

 

怖かった

頭の中で命令しても

脚に伝わらなかった

 

わざとやっていると思われないだろうか

信じてくれているだろうか

治るのだろうか

 

心は焦る

一言発するたびに

親がどんな表情をするか確認する

 

翌朝になるとなにごともなかったように

自分で立ち、歩けていた

 

ほっとしたのと

あと数日続けばよかったのにと思う

複雑な気持ちがない交ぜになったことに気づき

少し自分自身が恐ろしく感じたのを覚えている

 

あれはなんだったのだろうと

ふと思い出すときがある

 

時が経ち、知識も増え、経験も重ね

その中で

あの時はきっとこうだった

という解釈はいくらでもできる

 

けれどそのような解釈をするまえに

身体は先に反応する

 

あとにもさきにも

わたしが歩けなくなったのは

立てなくなったのは

あの時だけだった

 

だけど今ならわかる

心はなんども

歩けなくなって

立てなくなって

なんとか身体に反映されなかっただけなのだ

 

そのなんどもなんどもの

どこかで

もっと早く

ちゃんと言葉にしていたら

声に出していたら

なにかが変わっていただろうか

 

「あなたのためを思って言ってるの」

「あなたのためにわたしはこんなに我慢している」

じわじわと子どもを殺す科白

 

言葉のナイフを持ち合わせていない人なんて

いないことはわかってる

 

わたしも持っている

バッグの底にあって

財布出したり

ポーチ出したり

もたもたしながら

出すナイフではない

 

いつもさっと懐から出せてしまうような

そんなナイフがある

 

それをいつも自覚しながら

出さぬよう生きていきたいと思っている

 

「今日は学校に行きたくない」

はっきりとそう言葉で伝えてくる

こどもたちを目の当たりにするたびに

当時のことを思い出す

 

「ずる休み」という言葉は使わない

投げかけない

ナイフをぐっと手で上から押さえる

もっと違う言葉があるはずと

 

あの時のわたし自身は

どんな言葉をかけてもらいたかったのだろう

学生が3人

ばたばたと新年度がはじまった

今年度はPTA役員にもなってしまったので

とにかくスケジュール管理だけで頭がパンク寸前

 

とうとうスマホのアプリでスケジュール管理することになった

夫のことまで頭に入らない

「言った」

「聞いてない」

の繰り返しで険悪な状態になる前に

「夕飯いる」「夕飯いらない」

もうこれだけを毎朝報告してもらうことにした

あとはどこでなにをしているか

どうでもいい状態

 

どこでなにをしているか…

なぜそんな言い回しをするかというと

 

実は今年度より

我が家4人家族のうち

3人が学生となった

 

息子中学2年生、娘小学4年生

そして

夫大学院1年生

 

夫よ…

何故に親の脛をかじれた時代に

勉学に励まなかったのだよ…

何故に妻の脛をかじるのだ…

しかもこんなにか細い、か弱い脛をよ…

 

すこーし離れて見て見れば

面白い状態だ

人間、やりたいと思ったときに

やるのが一番

それはわかっているが

当事者のひとりとなると

まあ、大変だ

 

我が家、恥ずかしながら

それまでもかっつかっつの状態

それが今年度はさらに火の車

ほんとうはPTAとかボランティアしている暇なぞ

わたしにもない

はっきりいってない

 

まあでもこういうときに

そういうタイミングはいろいろかさなるもので

 

もうこうなると

あわてふためくようなことは通り越して

 

笑うしかない

面白がるしかない

他人事のように

 

「入学式一緒に来る?」と訊ねられたが

誰が行くかいな

 

ということで、職場にいたり

出張に行っていたり

大学にいたり

とにかくもう把握できぬ状態

 

2年後無事に息子と夫が卒業していることを祈るばかり

そんなことを呟いたら

「英語の論文が心配…」とのこと

誰が手伝うかいな…

と言いつつ

わたしも始めると

楽しんではまってしまうタイプ

というかすでに

日本語論文は一緒に結構読んでしまってるんだなこれが

 

まんまと夫に乗せられそうで

ちょっとこわい

 

 

 

勇気づけ

当事者ではないのに

その話を聞くと

心に響き、鼻の奥がツンと痛くなる時がある

 

それってなぜだろうか?と考えた時

ひとつ浮かんだことがあった

 

それは武勇伝でもなく

成功話でもなく

悲惨すぎる話でもなく

 

誰かが誰かに勇気づけられた話を聞いたとき

だということだ

 

勇気づけるとは難しい行動だと思う

褒めるとも違う

過剰に評価するとも違う

助言をするのとも違う

解決策を提案するとも違う

「きっとまたいいことあるよ」と確定できない未来に

占い師でもないのに太鼓判を押す

そんな行為でもない

 

要はよこしまな気持ちが入っていない時に伝わるのだと思う

 

意外と勇気づけられた方は覚えていても

勇気づけた方はすっかり忘れてしまっている

言葉だったり、行為だったりするのかもしれない

 

おそらく

そのままで素敵だよ

あなたの決めたこと、考えに誇りを持っていいんだよ

いつもいつもあなたが間違っているわけではないよ

 

そんな隠れたメッセージを受けた側が

感じとった時

勇気づけられたと感じるのかもしれない

 

けれどそれだって、

送った側の人は

そんなつもりではないときだってある

そんなつもりではないときのほうがほとんどだろう

 

そう思うと

受け手側の勘違いなのかもしれない

 

なんて!

素晴らしき勘違い

それでいいのだと思う

 

率直な気持ちと気持ちが触れ合う時の

素晴らしき勘違い

 

こういう偶然の重なり合いで

その人だけでなく

その話を伝え聞いた人の中にも

また、もうひと頑張りできる力をもらえる人もいたりするのだから

 

あきらめてください

この3連休の真ん中の日

夫が仕事で出勤することになった

 

「もうしわけない…」

休みの日に家を空けることには慣れている

その日に限って

なぜにあらたまる…

 

「いや別に気にしてないし」

「いやこんな大事な日に、申し訳ない」

大事な日?

何を仰っているのやら…

 

いつもと違ってしおらしい姿も

なんだか芝居じみてみえてくる

 

面倒なので無視

 

「やっぱり今年も忘れちゃってますかぁ…」

 

このなかなか結論に達しない話し方は

夫の特徴で

わたしはいつもちょっとだけ

腹立たしくなる

 

「だから何?」

 

「結婚記念日です」

「あ、ごめん。今年も忘れてた。」

 

16回目の結婚記念日

計算しやすいように2000年に結婚したのだが

16回、毎回忘れてしまう。

以前も花束を持って帰ってきたときに

「誰に貰ったの~?」と言ってしまった

 

わたしには記念日を覚えておくことは重要ではない

誕生日もよく忘れる

書類に書くこどもたちの生年月日も

実はあやふやだったりする

こっそり保険証で確認してから

書いている

 

人によって重要ポイントは違うので

これはもうどうしようもないのである

 

夫も家族も大切だけれど

その愛情と記念日を覚えておくことは

私の中では比例しない

 

いい加減、

夫よもうあきらめておくれ

 

 

切なさとキラキラと

まっすぐにキラキラしたものだけを

心の小箱にしまって

生きている人はいるんだろうか

 

どこかちょっぴり切なくて

けれどキラッと光って

温かくて

あの時違う選択をしていたら…

と想像して

でもこれでよかったんだと

思ったりして

 

そっと時折

その小箱の中を覗いて

また前を見据える

 

切ないけれど

大切で

いつか呆けてしまう日が来ても

この思いは忘れたくない

そんな記憶がいくつもある

 

ただのまっすぐのキラキラは

意外と忘れていたりするものだ

 

先日の娘のホワイトデーの姿をみて

そんなことを思った

 

以前書いたが私にも同じ歳の頃こんな思い出がある

privatecotte.hatenablog.com

 

贈ったチョコのお返しをしてもらい

嬉しい気持ち

それまでに本当にお返しをもらえるかの不安

ヴァレンタインとホワイトデーの間の期間の接し方

話せた日、姿を見かけたけれど声をかけられなかった日

 

1年前はもっともっと気持ちも子供で

2人で虫取り網を持って

駆けずり回っていた日々

 

ああ

こうして今は知らないけれど

もっと成長した時に

どうしようもないくらい

大切な記憶になるのだろう

 

時々

そっと小箱を開けては

切なくなったり

温かくなったり

後悔したり

感謝したり

 

1つの思い出で

1人の相手で

得も言われぬたくさんの感情を知るのだろう

 

2人が並んでいる姿をみながら

その彼にはお返しをもらったことだけでない

 

もっと、もっと

たくさんのありがとうを届けたい

 

無自覚なままでいいんだ

そのままいてくれるだけで

それだけで娘は自分を自分で形成していく

 

そう思うとわたしもすっかり忘れてしまっている

誰かの

小箱に存在しているのかもしれない

 

少しこそばゆい感覚

テーブルに置かれた

キャンディーの瓶を見つめながら

すこしニヤついてしまった