The double

cotteの脳内日記

居場所

先日、息子を学校に迎えに行った一件はその後

部活動参加停止と放課後のトイレ掃除

というお達しがあったそうだ

期限は伝えられていない

 

このお達しの内容にはまあ

私個人としてはいろいろ思いがあるが

息子にたずねると

「別にいいよ~何?ママ学校と揉めたいの?勘弁してよ。俺の問題。」

と言われたので、

1人で悶々することにした(笑)

 

この期間は部活に出ない分いつもより早い帰宅だったので

TVもつけずゆっくり会話を楽しみながら

夕飯の時間を息子と過ごせたので

意外とこれはこれでよかった

 

それでも息子は

サッカーボールが蹴りたくて蹴りたくて

仕方がなかった

 

ある夕方、私が外出から帰宅すると

制服が脱ぎ捨てられていた

しかし本人の姿が見えない

ベッドにもいない

 

どこかふらふらしに行ったのか…と思った瞬間

ピンときた

その日は木曜日

「あそこへ行ったな。きっと。」

 

わたしの見越した通りだった

 

息子は小学校の時に在籍していた

地域のサッカーチームの練習に参加していた

 

しかしこのサッカーチームの数名のコーチは

今の中学校の兼任コーチでもある

追い返されなかったのか…

 

夜7時ごろ

息子は晴れ晴れとした声で

「ただいま」と言って帰ってきた

久しぶりに見る高揚した顔

 

「ちょっとやらかしちゃって部停中なんで、ボール蹴らせてください」って

言ったら、

みんなに

「よく来たなぁ。じゃあ試合でもやるかって、小学校別にチーム分けして試合してきた」

この日は寝るまで饒舌だった

 

その数日前までは

「このまま部活復帰できなかったら、中学校変えてもいい?」

と相談されていて

「好きなようにしなよ。お前ならどこに行ってもすぐに馴染めるから」

と言っていたのだが

「もう少し、様子見る。トイレ掃除もコツがつかめてきたし。こんど家のトイレ掃除も俺が担当するよ」

と終始ご機嫌だった

 

それからしばらくして部停もトイレ掃除も解除になり

また元の生活に戻った

 

転んでもただじゃ起きない子だなと

勝手に古巣のサッカーチームに顔を出した行動をみて

思ってしまった

この子はこの子なりに

まだ13年しか生きていないけれど

学校や家だけでなく

居場所を作りながら生きているのだなと

 

そういえば小学生の頃も

なにかあると

これまた勝手に保育園に顔を出していたこともあったっけ

 

その時、その時

生活の中心となる場所で

つらいことや逃げたいことがあったとき、

どこかほかに居場所があるという安堵は必要だ

もちろん最終的な場所は我が家であってほしい

 

けれど家だけでは不十分だ

親以外の大人もいるほかの居場所

 

こども時代は

それをひとつ、またひとつ増やしていく

作業が一番必要なのかもしれない

 

少なくとも息子の場合は他にも何か所かそんな場所がある

こんな息子を面白がってくれる大人がいてくれる

 

わたしも微力ながら

こどもたちのともだちなり、しりあいなりの

居場所のひとつに我が家がなればと

いつも思っている

 

リレーごはん

食の作り置きが苦手である

まず本当にこれは3日も4日も保つのであろうか?

と不安になる

元々鼻が効く方ではないので

嗅いでみても

自分の判断を信用できない

 

また副菜であっても

同じものを続けて食べるのが好きではない

おせちは別だが…

いやおせちだってやっぱり飽きる

日ごとにテンションが落ちていく

 

毎食食べきれる量しか作っていない

癖になってしまっているので

決めごとではないのだけれど

作ると大抵食べきってしまう

 

それでも少しだけ余る時がある

これを次の日にどう変化させようか考えるのはすごく好き

スープにしてみたり

グラタンにしてみたり

お好み焼きにしてみたり

 

リレーごはんと呼んでいる

 

少し残ったものを足して

今夜はミネストローネ風のスープにするか

ならばハンバーグでもたまには捏ねるか・・・

 

日々仕事とごはんのことしか

ほとんど考えていない

最近は妄想の海にぷかぷか浮いていないなぁ

 

久しぶりに今日はお昼を食べたら少し

くらげにでもなろうか

 

 

ヴァレンタインデー

ヴァレンタインデー

終わりました

 

息子は友達の妹さんから義理チョコ1個

うーむ

小学生の頃から女子たちから

「黙っていればイケメン」と言われていただけあり

モテませんな

ある意味今の女の子たちは見る目がすでに養われているのかもしれない

 

小3娘は数日前から黙々と手作りチョコを準備

それでも当日になると

「怖くなってきた」

「やっぱり渡すのやめようかな」と迷いに迷い

とうとう夜の8時に

やっと決心がつき無事に渡すことができた

家に帰ると頬を赤く染めて

にこやかにしている娘をみながら

すでに乙女心ができあがっていることに驚くわたしだった

 

 

わたしがまだ記憶に残っているヴァレンタインは高校生の時

県立の学区内の共学高校であったが

家から電車で1時間かかった

 

いつも乗る沿線にはたくさんの高校があり

いろんな制服の学生たちが

サラリーマンと混じり乗っていた

そんな中、中高一貫の私立の男子高校のグループが

いつも同じ車両にいた

 

私立の高校生は制服も洒落ていて

たぶん公立に通うものたちより

家も裕福だろう

クラスメートの男子より大人びてみえた

 

一緒に通っていた友達といつも

「かっこいいよね」

「部活はなにをしているんだろうね」

「うちの学校にもあんな人たちがいたらいいね」と話していた

 

半分以上はお祭り、イベントを楽しむ気分だったが

ヴァレンタインの日、わたしは電車の中で

その男子グループの1人に小さなチョコレートを渡した

 

クールな対応をされるかと予想していたが

車内で男の子たちが雄たけびをあげて

飛び跳ねているさまをみて

少々面喰ったが、とても喜んでくれたので

嬉しかった

 

話をしてみると

おなじ学年だった

部活はサッカー部だった

もう名前もほかになにを話したのか覚えていない

ただしばらくの期間、一緒の電車になると

降りる駅がくるまで

2人でずっと話す日々が続いていた

 

学生時代、一途とはいいがたい性格で

数えきれないぐらいの人をいいなと思ったり

話せばドキドキしたり

好きになったり、好きになられたりした

嫌われたらどうしようとか

嫌いになっちゃたけれどどう伝えようとか

いろんな悩みをかかえていたけれど

 

なんでも時が過ぎれば

勇気をだしたことは結果うんぬんよりも

みないい思い出になるのだなと

毎年この時期がくると思い出すできごとの一つだ

小さな変化

今までも意外と小さい頃の記憶はあると思っていたけれど

こどもを通して

ここのところ思い出すことが多くなった気がする

 

それは息子が中学生になったということが

大きい

 

そしてふと思う

中学時代の先生やおなじ生徒たちは

果たして今のわたしを想像できていただろうか?

 

断じて言える

想像できていない

 

だって私が想像できていなかったのだから

だって私の思考など他者は、はなから知らなかったのだから

だって私だって変化するのだから

 

やっぱりこうなったか…

とは言わせない

表から見えていることだけで

言って欲しくはない

まあこのことを除いても

今私がこのような生活を送っていることを

予言した人なんていないんだ

 

思い返せば随分陰湿な人間だったと思う

何をすれば、どう見せれば

大人は安心するか、信用してくれるか

知っていた

演じていたなぁと思う

そして大人を馬鹿にしていたなぁと思う

 

だからわたしと真逆に生きている息子を

いいやつだなぁと思う

時には正直すぎて、すげぇなと思ってしまう

 

だから大人が求めるような

大きな変化はみられない

 

どうすればいいかはわかっていても

自分に嘘をついてまで

取り繕うことをしない

評価を気にしない

いやすこしは気にしているようだけれど

それ以上に自分の気持ちを優先する息子をみると

 

母ちゃんなんて、

いまやっとこそんな状態に身をおけるようになって

自分を好きになってきているのに

やっぱりおまえある意味すごいと

心の中で思ったり

これまた少し、

言葉で伝えてみたりしている

 

これから息子がどんな人生を歩むかは

わたしにも本人にもわからない

だから3年そこそこしか付き合わない人には

まったくもってわからない

 

わからないは

人は変化するものだから

ちいさな変化がずっと先になって

結実するときがある

こんなこと…と思っていたことが

あとで考えてみると

あれが分岐点だったのかもしれないと

気づくときがやってくる

 

ちいさな変化

見逃さず

ちゃんと伝えていくことが務めかなと

感じている

 

意味はいろいろ変わるもの

「優しい」は

それだけでは

いいも、わるいの判断ができない

その前後の行動や受けとる相手がどうとらえるかで

「優しい」は

ありがたいと捉えられることもあるし

迷惑だと捉えられることもある

 

電車の席を譲って

「ありがとう」と言われることもあれば

迷惑そうな顔をして、席に座らない人もいる

 

行為は同じであっても

受けとる相手で変わってしまうという場面はたくさんある

 

すべてのものに

ほんとうはいいも、悪いもないのかもしれない

 

 息子は「お調子者」だ

向かう方向によって

それは場が和むとなったり

悪ノリとなる

これも相手がどう捉えるかで変わる

 

「お調子者」自体には

いいも、悪いも存在しない

 

先日の夜、連絡が入り学校まで息子を迎えに行った

この「お調子者」が災いし

(と打ちながら災いなのかと疑問もありながらうまい言い回しがみつからない)

やや事実と異なることまで息子が起こしたことになっていた

 

本人はもうそれでいいと思ったようだったが

家に帰るとぽつぽつとその違いを話し始めた

 

これも本人に直接確認したわけではないが

自分を振り返ると

本当のことを話すと少し涙が出てくる

本当のことを話すことが怖いというより

それを理解してもらえるか怖くなる

信じてもらえるか怖くなる

さいごまで黙って話を聞いてくれるか疑わしくなる

 

それならば相手が思ったように

振る舞っていた方が

嘘の方が

楽な時がある

 

いいか悪いかは別なのだ

その瞬間、瞬間

楽な方を選ぶのが人間だ

 

息子の顔にはうっすら涙の流れた跡がみえた

 

「本当のことを話した方がいいとママは思うけどね」

反省文を書いている息子の背中に投げかける

 

しばらく無言だったが

「反省文に本当のこと書く。でもきっと昨日と違うと、ママ、また学校に呼ばれるよ」

と言いながら、息子は息子の中のほんとうのことを書いていた

 

「お調子者」だからこんなこともするだろう

「お調子者」だけどそんなことまではしないよ

これも受け取る側にゆだねられること 

 

さて学校側はその相違点をどうとらえるのであろうか

事実と異なることをわたしに伝えたことへ

なにか連絡はあるのだろうか

2日経つがまだない

もうこれっきりないのかもしれない

 

このことをどう感じ、どうとらえるか

それはわたしにゆだねられている

わたしらしさ

どこがスタート地点かはわからない

 

けれど今までしてきたことすべてじゃないかと思う

他のブログでも書いたことがあるけれど

 

今までしてきたことが

点、点とあったことが

今少しづつ繋がっているのがわかる

 

繋げていくことで

その人だけの星座ができあがる

 

生きていく中で人は星座を知らず知らずのうちに

つくっている

 

スタート地点がどこかはわからないけれど

 

わたしは自分の中の毒をもっと吐き出したくて

11月にここのブログをはじめた

そんな中で

一汁一菜や映画「この世界の片隅に」など

きっと他にもこの数か月で色んなものが

わたしの中を通り抜けたり、留まったりしている

 

そして知らないうちに

今まで以上に

さもない暮らしに感謝が湧いてきたり

漠然とあった不安のような

いらだちのようなものが

どこかにいってしまっていた

ゼロになったわけでないけれど

 

苦しかったから、

どこかに書き留めたくて

はじめたここのブログだが

書き留めておきたい毒がどこかに行ってしまった

 

そしていつのまにか

自分らしさ、自分らしく

わたしらしさ、わたしらしく

という呪文も唱えなくなっていた

 

わたしらしさを追求しなくなったとき

 

きっと人はその人らしくなるのかもしれない

 

わたしらしさは

いらない

そうなってはじめて

 

じぶんを感じる

名もない星屑のその小さな一つでいい

 

そして今生きている

名前も知らない

どこに住んでいるかも知らない

そんな人たちとも

どこかで繋がり

 

みんなで星座をつくっているのだ

ほうれんそう

冷蔵庫を開けると

奥の方に小さな小鉢が入っていた

記憶にない

冷やご飯でも入っているんだろうと思って

手にすると

2日前の麻婆豆腐が入っていた

 

 

夫だ

 

大抵10時後半から11時過ぎに帰宅する夫

帰宅してから夕飯を食べ、片付けをしてくれる

 

それだけで御の字なのだが

でもやっぱり

こういうものは、ちゃんと報告してほしい

 

ラップを開けて

あまり効かない鼻でくんくんしてみると

大丈夫そう

 

温め直して

その日のお昼に麻婆丼にして食べた

 

これは本当に勝手だと思うのだが

勝手を承知で言うのだが

 

こういう小さな家庭内の「ほうれんそう」ミスの場合

夫が妻のミスを見つけた時は

先に処理済みにした後に

「〇〇やっておいたよ」とだけ伝える

 

逆に妻が夫のミスを見つけた時は

おそらくおおよその妻は

事後処理前に夫に報告という名の愚痴をこぼす

その際は

とにかく謝るそして行動にうつす

 

これが夫婦円満の秘訣のひとつのような気がする

 

勝手だね

勝手だよな

でもそれを含めてかわいい妻と思って欲しい

というのが

かわいいおんなのわがままなのだ

 

おんなはというと

そんなミスをするおとこをかわいいとは思わないのだけど(笑)