The double

cotteの脳内日記

隣の芝生は

いま住んでいる地域も10年をはるかに越えた

 

自然と顔見知りも増え

こども絡み以外でも

外に出れば、挨拶したり

一言二言立ち話をするような間柄の人も増えた

 

「今日は何作るの?」

「そういうのどこで買ってるの?」

親世代の元気なマダムたちとはスーパーでよく出あう

 

答えるたびに

「あら、美味しそう」だの「いつも素敵よ~」と

褒めていただいたあとは

「うちのお嫁ちゃんなんて、そんなの作れないわよ」

「うちのお嫁ちゃんなんて、全然なつかないわよ」と

ほぼ決まって言ってくる

 

いやいや隣の芝生が青く見えるだけですよ…

 

本心からそう思う

 

身近になればなるほど

粗がみえやすいものだし

それを許せなくなる気持ちにもなる

そんなものだ

 

隣の芝生が青くみえるマダムたちから

わたしは時々恩恵をさずかり

自分では手が出せないような

服飾類をお下がりでいただいたり、

珍味をいただいたりする

「お嫁ちゃんには内緒ね」の言葉と共に

 

けれどそうやってきっと

そのマダムたちのお嫁ちゃんも

違う所で恩恵をさずかっているに違いない

 

関係の離れた相手になら少し寛容になれるのならば

それを循環していけばいいのだろう

血縁に縛られ過ぎて息苦しくなるくらいなら

そのほうがうまくいくのかもしれない

 

時折SNSなどできれいなおうちの画像や

素敵なご夫婦とみうけられる画像を眺めると

やっぱりそこは平平凡凡な人間

「我が家にもう一部屋あったらなぁ」とか

隣で缶ビール飲んでいる夫を横目でみながら

「よそはいいなぁ」と

本気ではないにしろ思うこともある

 

それでもこれは不思議なことだが

こどもだ

成績もさっぱし

スポーツもどうだか

夕方鳴る電話はおおかた学校から

学校、ゲーム、食う、寝るの毎日

とまあ問題だらけのこどもだけれど

 

こればっかりは隣の芝生は青くはみえない

あんぽんたん最高!

こんなに飽きないキャラの持ち主ほかにいない

天才!ぐらいになるのだから

 

自分がそんな、親バカという者になろうとは

思いもよらなかった

まったくもって予定外だ

 

けれど

自分の家の芝生も青いぜという

生き方はとても楽である

 

補修

最近ダーニングというものを知った

ダーニング(darninng)とは

補修という意味だそうで

 

日本ではダーニングというと

イコール

衣類にできてしまった穴の装飾補修を意味する

 

わたしはインスタグラムでたまたま知ったのだが

どうも「暮しの手帖」で記事になっていたらしい

 

まず刺繍糸や刺し子のようなやや太めの糸を用意する

穴の上に5ミリ間隔(まあお好みだが)に縦糸を張るように

コの字に針を進める

全て張ったら横糸を縦糸に通してく

この時にこの横糸を縦糸の上、下と交互にくぐらせる

すべてやり終えると

織物のように格子状になっている

 

この格子状がなんともいえず可愛い

男性には理解不能かもしれないが

とにかく愛おしい

 

あえて元の生地の色とは違う糸で

ダーニングして目立たせたくなる

 

靴下、湯たんぽカバー、エプロン

とにかく家の中のありとあらゆる布もの

編んであるものに

穴があいていないか探しまくる

 

一番多いのは息子の靴下だ

通学用とサッカーストッキングと

1か月しないうちに穴があく

今までは泣く泣く捨ててしまったが

 

このダーニングを知ってからというものの

洗濯物を畳みながら

穴を見つけるとうほうほしてしまう

 

さすがに通学用の靴下の色は指定があるので

同じ色の糸でダーニング

サッカーストッキングはここぞとばかりに

反対色の糸でダーニング

 

こんなもの履けない

と言われるかと思ったが

なにも言わず履き続けている

 

他の部員の子たちのものも

ダーニングしたくなってきた

みんな持ってこい

得意と好き

「あ、それわたし得意です」と聞いてもいないのにいう人で

それが得意な人に出会ったことがないに等しい

それを生業にしている人はここでは別のはなし

 

 

「ただ好きなだけなですよー」という人に限って

それはもう特技と言っていいでしょう

といいたくなるひとには大勢出会ってきた

 

まあ当社(自)比ですが

 

得意か不得意かは今までの

その人の経験の中で下されてきた評価の結果

自分で導き出した主観といえようか

 

好きか嫌いかは

おおよそ主観のみだ

 

いじわるでも腹黒といわれても

わたしは聞いてもいないのに

自ら「それ得意なんです」というひとを

信用していない

 

それを好きなひとは

それをしている時間が好きなのだと思う

 

それを得意な人は

それをしている時の自分が好きなのだと思う

 

履歴書にある「特技欄」

あれ嫌いだったなぁと

今日授業の一環で職場訪問をしている息子を

やや心配しながら

ふと思い出した今日

 

左の人差し指

人間ちょっとやそっとじゃ死にやしない

 

生きていると数えきれないほど耳にするセリフ

 

けれど人間ちょっとそっとのことで

支障をきたすもの

 

一昨日から

左の人差し指の爪の脇が痛い

さかむけではないのが

爪の脇っちょとその隣の皮膚部分が

少し剥がれそうになっていて赤く腫れている

 

ぎゅっと絆創膏を一巻きして固定する

 

わたしはもともと左利きで

就学前に直された

あの当時は左利きは右利きに強制的に

矯正させられた時代

 

物書き、箸、はさみ…

ほとんど右利きなのだが

雑巾を絞ったり、トランプを切ったり…

知らずに左利きになっている時がある

 

こうして左の人差し指に絆創膏をぐるっと一巻きしただけで

いらいらするほど不便だ

 

身体の何%だろうか

ほんのわずかな部分の不具合で

身体の動き、いや思考、感覚までも

もうしっくりこない

 

そして、細かい作業、触感などなど

左手に頼っていたことを

また発見する

 

それにしてもいらいらする

人差し指ほどでこうも毎日の

さもないことが不便になる

 

ちょっとやそっとじゃ死にやしない人間は

ちょっとやそっとのことでくじける生きもの

みんなで育てる

小学校3年の娘は絶賛お悩み中

 

人は死んだらどうなるの?

私が〇歳になったら、ママはもう〇歳

死んでるかもしれないよね?

私に子供ができたらママより子供の方が大切に思うようになっちゃうの?

 

質問は果てしない

 

辛口な言い方をすると

すこしそんな自分に酔っているんだと思う

今というものから逃げているんだと思う

 

けれどわたしもそうだったが

女の子はそんな時期を必ず通る

アンニュイで

少女漫画のように

ちょっと悲劇のヒロインぽく生きる期間があるのだ

 

娘の幸せなところは

そんな悩みを話せる大人が親以外にいること

学校からの帰り道

家に着くまでに

寄り道しては自分の悩みを話して帰ってくる

 

「〇〇さんも小さい頃、同じこと考えて眠れなくなっちゃったんだって」

「〇〇さんとまたお話ししながらお手伝いしてきたー」

 

そうやって、子供だけれど

子ども扱いせず、ちゃんと話を聞いてくれて

同じ人間扱いしてくれる人たちが周りにいる

その経験の中で娘は自分に自信をつけていくのだろう

 

その自信を積み重ねていくとね

親がいなくなっても

どうにか生きていける!

という自信に繋がっていくのだが

今はまだそれを伝えるのは早そうだ

 

慌てず、慌てず、

今は「大変だね。大人になりつつあるね」と

娘の欲しい言葉を探して

ぎゅっと抱きしめる日々

 

 

いつまでたっても苦手

年が明けてから

頭の片隅にいつもある

確定申告…

 

まだ着手しておらず

 

とは言っても毎日の帳簿は欠かさずつけて

PCで管理している

だからあとは確定申告用紙に書き込むだけなのだ

それでも着手せず

 

でも気にはなっている

 

事務的な仕事が好きではない

 

学校からこどもたちが持ち帰ってくる

さまざまな行事の参加、不参加のどちらかに丸をして

提出するだけの用紙

たったそれだけのことなのだが

しようとしない自分がいつもいる

 

そうはいっても

毎年嫌だぁとか面倒くさいとか

言っていても

当たり前だけれど

ちゃんと毎年申告している

 

好きなことをさせてもらって

仕事が楽しくて

今のところ続けることができて

毎日があっという間にすぎていく

 

これくらいの代償はないといけない

 

明日から

明後日から着手します

川の字で寝る

先日、久方ぶりに親子4人で同じ部屋で寝た

 

その日の晩、録画しておいた

NHKスペシャル」の「ばっちゃん」を家族で観た

 

ばっちゃんは広島の団地に住む

82歳の元保護司だ

さまざまな事情でごはんが食べられない子供たちに

自宅を開放し30年以上無償で食事を提供している

 

今回8年ほどに渡る取材が番組となった

長い年月をかけ丁寧に信頼関係を築きながらの取材だったのだと思う

多くのこどもたちにモザイクがかかっていなかった

 

こどもにどう接していいかわからない親たち

よくわからないまま親になってしまったひとたち

親になる気もないのに親になってしまったひとたち

 

それでも親になったからには、

どうにかしてでも親になってほしいとは思う

 

けれどそれはもしかしたら

広島の原爆孤児からはじまり脈々と繋がっている

問題なのかもしれない

そう思うと、戦後70年?

笑わせるなと

ずっと戦争は終わってないんだよ

と思わずにはいられなかった

 

この番組だけは家族に観てほしいと思って

珍しく

一緒に観てほしい

と声をかけた

 

こどもたちははじめ渋々ゲームやスマホを置いて

テレビの前に集まった

 

こどもたちは黙ってみていた

一言もなにも言わなかった

 

わたしもなにも言わなかった

 

ただ観終わって

歯磨きしながら

「今日、一緒に寝ようかな」と息子が言ってきたので

「そうしよう、掛布団だけもっておいで」と言った

 

わたしが寝室に入るころには

すっかりこども2人は寝入ってしまっていた

わたしよりはるかに背が高くなった息子が隣で寝ている

不思議だ

それでも一緒に寝ていた頃より

寝相がよくなったようで

わたしは一度も蹴られず

いつもどおり朝までぐっすりと寝てしまった

 

そしてまた次の日からは別々の部屋に戻っていった

なにも話はしなかったけれど

いろいろ思うことは彼にもあったのだろう

 

実に静かな晩であった